iOS 7は本当に美しいのか?


個人的な話ではありますが、昨日は僕にとっての『iPhone記念日』でした。

4年前の10/8。これはiPhone 3GSという、僕にとってのモノリスを手にし、
それから先の人生が大きく変わっていったことをよく覚えています。


しかし、そんなiPhone愛が強かったはずなのに、今回のiPhoneはほぼ見送り状態。
iPhone 5は使っているものの、一番よく使っているのはNEXUS 4。

心が離れつつある理由はいくつかありますが、その一つがiOS 7のデザイン。
Macは長年使っているので、当然、ジョナサン・アイヴス氏のデザインは慣れています。
しかし、iOS 7は全然しっくり来ないのです。

スティーブ・ジョブズが存命していた頃のiOSといえば、
スコット・フォーストール氏が担当し、
現実世界の質感をディスプレイの中に詰め込んだ『Skeuomorphism』デザインでした。

『Skeuomorphism』デザインはRetinaディスプレイになったら、
更に本領を発揮し、各アプリメーカーもどんどん美しい『質感』あるデザインを投入。
そのお陰で、iPhoneのホーム画面は、まるで自分のプライベートルームをレイアウトするかのような、
ほぼ現実空間に近い、宝箱のような、ワクワクするものでした。

iPhoneとは、ハードの形状から、ソフトウェアにいたるまで、
すべてが生活に溶け込んでしまう、素晴らしく、美しいデバイスだったのです。

ところが、iOS 7はどうでしょうか。
ミニマルになりすぎて、正直ツールとしか考えられません。いちいち派手なエフェクトも不要。
そこには現実空間はなく、どこか遥か遠い宇宙にあるものを見ているような気分。

フラットデザインは、デジタルに適応し、進化した人類の証。そのことは確か。
現実空間を仮想的に表現しなくても良くなった故のこと。これはすごい出来事。

しかしAppleは既に、その先を行っていたのではないだろうか。
仮想空間に現実空間を、真似るのではなく創りだす。これはAppleしかできなかったこと。
(ビールを疑似体験できたり、ダイヤル式電話を再現できたり、こんなこと、iPhoneじゃなきゃやらなかった。)

それを辞めてしまったiOS 7とは、もう、ただのディスプレイでしかない。
ぬるり感とか綺麗なフォントは満足度が高いが、それはまるで、
よくある長く愛されいないデザイナーズプロダクトと一緒。

そうなると当然、利便性が高く、ツールとして洗練されたAndroidの方が面白い。


しかしiOS 7の誕生によって、
これまで不足していた多くの機能が実装され、便利になったことがあることは確か。
まるで模索状態なOSではあるが、これはiPhone 3GSを買った当初もそうでした。
iOS 6にいたるまで、たった3年にあのOSは完璧に近いほど進化してきました。
iOS 7から始まる新たな進化は、もしかしたら未知なる体験が待っているかもしれません。

何故そう思えるのか。それがAppleであり、iPhoneだからなんですね。



コメント